管理者プロフィール
こんにちは!
私は、シングルマザーの、のんです!
この記事では、自己紹介をしていきたいと思います。
私は、2人の子どもを持つシングルマザーです。
一般企業に勤めた経験もなく、知識もスキルもありません。
そんな私ですが、
ウェブマーケティングで月収50万円を目指しています。
非現実的ですよね。(笑)
私もそう思います。
ですが、あるスクールとの出会いで、もしかしたらこんな私でも変われるんじゃないか?
と、思うようになりました。
なぜ、ウェブマーケティングなのか?
なぜ、そこまで稼ぎたいのか?
私の人生で起きた出来事を踏まえてお伝えしていきたいと思います。
基本情報
1995年10月生まれ。
家族:息子(7歳)娘(4歳)
趣味:ピアノ、ドラム演奏、キックボクシング、キャンプ、韓ドラ鑑賞
仕事:キックボクシングジムの運営、トレーナー
好きな言葉:現状維持は退化
MBTI:INFP
誕生〜幼少期
沖縄県1995年生まれ、
ごく普通の家庭で末っ子長女で生まれました。
兄が二人いますが、10個年が離れていて
一緒に過ごした記憶はあまりないです。
ある日、ピアノの発表会に行く友達を、家の前の駐車場で見かけました。
“おめかしして発表会に行くんだ。私も見てみたい。”
と思い、一緒につれて行ってもらいました。
友達はしっかり練習していて舞台で堂々としていたのをはっきり覚えています。
この時から、ピアノの音が好きになり音楽に魅了されました。
私もやってみたい!と思い、ピアノ教室に通わせてもらいました。
小学〜中学生時代
小学生からは、ピアノなどの習いごとに加え、金管バンド部に入部しました。
校内だけの活動でしたが、それでもみんなと楽器を吹いて
楽しかったです。
中学校は、ありえないくらい学校の校則が厳しかったです。
体育祭の練習で、行進が綺麗にできていないと
放課後もやり直し。
各学級で行進の朝練を毎日しました。
行進の朝練って聞いたことないですよね。汗
他の中学からは、
北朝鮮と呼ばれていました。笑
部活は、吹奏楽部に入部し、3年間全国大会に派遣され金賞を受賞しました。
毎日、たくさん練習し選抜のメンバーにも選ばれたり、リーダーを任せられていました。
ピアノを続けていたのもあって、他の人より
上達するのが早かったと思います。
友達と一緒に塾にも入りましたが、勉強は全くせずいつも一番下のクラスでした。
結局高校は、吹奏楽部の実績があり、推薦入試で合格しました。
高校〜短大時代
高校では、芸術コースがある学校に行きました。
毎日、音楽の授業があって、自分の好きな分野を研究したり
課題に取り組みました。
学校の授業では、ピアノや合唱を中心に練習し
部活では、軽音楽部に入部し、ドラムを叩いていました。
個性豊かなメンバーで3年間過ごし、毎日お腹が痛くなるまで笑って
青春でした。
勉強の方はというと、全然してませんでした笑
テストがあるたび、急いで覚えて、終わったらほぼ忘れます。
唯一、たくさん勉強した。と言えるのは
自動車運転免許の試験です。笑
部活の実績で、高校入試も短大の入試も推薦で合格したので
受験勉強というのもしたことがありませんでした。
保育士になる為に、地元の短期大学に入学し
2年間勉強と実習を受けましたが、
私って本当に保育士になりたいのかな?
もっと、違う仕事がしたい。
と思った頃にはもう手遅れでした。笑
一般企業と言われる企業の募集は、ほぼ終わっていました。
とりあえず、保育士の免許もとったし保育園で働いてみよう、
という気持ちで家の近くの保育園で就職が決まりました。
就職した頃から、私の人生は一気に変わります。
新卒一年目にして、妊娠
保育園に就職し、これからバリバリ働くぞ!っていうときに
妊娠が発覚しました。
相手は、当時同い年の大学3年生でした。
私の両親は、大反対でした。
妊娠が発覚してから、約3か月ほど口をきいてくれませんでした。
(ここから元旦那のことを、「旦那」と表記します)
私の両親が、妊娠を受け入れてくれたのは、当時の相手である旦那が挨拶に来た時です。
優しくて頑張りやな性格なので、その誠実さが伝わったのか、両親も受け入れてくれました。
産休に入るとともに、保育園を退職し
2017年の2月に無事に長男が生まれました。
当時私は、21歳でした。
ようやく公式にお酒が飲める歳に妊娠し、周りが遊び盛りの時に
育児に追われていたので、みんなが羨ましいな。と思っていましたが
優しくて育児家事に積極的な旦那と
可愛い息子と幸せに暮らし、幸せでした。
息子が誕生し1年が経って、産後ダイエットでキックボクシングジムに通うことにしました。
これが、すごくどハマりして息子を寝かしつけた後に、週に4回くらい通いました。
ダイエット目的で通っていたのに、いつの間にか試合にも出ていました。
今まで、文化系だった私が、いきなりキックボクシングをして試合に出ることを知った
友達は、驚いていました。
キックボクシングに夢中になっていた2年間でしたが、二人目の妊娠をきっかけに
キックボクシングは少し休むことにしました。
二人目の妊娠
二人目となると、気持ちに余裕が出ました。
つわりもほとんどなく、検診でも特に問題なし。
2019年の9月に無事、長女が誕生しました。
産まれたばかりの娘が、目がくりくりで本当に可愛くて
本当に私から生まれた子なのか?
取り間違えてない?
と、可愛くて仕方がありませんでした。
これから、家族4人で幸せに暮らすんだ、と娘の誕生がとても嬉しく思えました。
しかし、幸せだったのも束の間、私の人生で一番辛い出来事が起こります。
生後1ヶ月の娘の異変
息子は、生まれた時からビッグベイビーと言われ、小児科の先生にも
「100人いたら1番大きい赤ちゃんだよ」
と言われたくらい、とにかく大きくて健康的だったんです。
しかし、娘はというと
母乳を飲んでも、体重が増えることはなく、不思議に思っていました。
女の子だから?二人目だから?
まぁ、いずれ大きくなるでしょう、と軽く思っていました。
しかし、ある日
新生児の尿検査の結果で、「胆道閉鎖症の疑い」と診断されました。
胆道閉鎖症は、赤ちゃんに発症する肝臓の病気です。1万人1人の割合で発症します。
まさか、私の子が病気なわけがない。
と思いました。そう願っていました。
まだ胆道閉鎖症と決まったわけじゃないので、そうじゃないことを願い
いろんな検査を受けました。
身体の中の状態を見るため、わずか生後1ヶ月の娘に
鼻から長い管を通す処置を行うことになりました。
娘だけ処置室に連れて行かれました。
その時、聞いたこともない、娘の泣き叫ぶ声が病院の廊下まで聞こえてきました。
娘は、生まれたばかりでまだ喋れるはずがありませんが
この時
「お母さん、助けて、苦しいよ」
と泣いて訴えているように聞こえました。
我が子が苦しんで泣いているのに
そばにいることもできず、廊下でただ待っていることしができませんでした。
この時間が、私が生きていた中で一番辛く、どん底に落ちました。
このことは、死ぬまで一生忘れられないです。
結局、他にもいろんな検査を受けましたが
胆道閉鎖症の疑いは晴れず、最終手段の開腹手術をすることになりました。
実際に、お腹を切って、肝臓の胆道から胆汁が流れるか確認する手術です。
手術を受けたのが、生後1ヶ月20日の日でした。
胆道閉鎖症じゃない可能性もあるので、そうじゃないことを願っていました。
生後1ヶ月で約8時間の大手術
手術が始まり、2時間くらいがたったころ
電話が鳴り
「やはり、胆道閉鎖症なのでそのまま手術を進めます。」
とのことでした。
胆道閉鎖症じゃないことを願っていましたが、やっぱりそうだったのか。
と落胆しました。
今回手術を受けても、完治する病気ではなく一生付き合っていかないといけません。
手術をしても、肝臓の働きが悪いと移植をする可能性もあります。
この子の将来はどうなるんだろう?普通の子と一緒に過ごせるのか?
と不安でいっぱいでした。
約8時間の手術が終わり、帰ってきた我が子を見ると、
小さなお腹に大きな手術痕、身体にいろんな管を通されており、顔は浮腫んでいました。
生まれたばかりの頃から大変なことを乗り越える娘を誇らしく思えました。
手術から1ヶ月が経ったころ、体調も安定し、無事に退院しました。
家族4人で一緒に過ごせること、川の字になって眠れることが
こんなに幸せなのか。と痛感しました。
ところが、この幸せも続かず、私の人生で2番目に辛い出来事が起こります。
コロナの襲来と旦那の家出、離婚
日本でコロナウイルスの感染が確認されたのは、2020年1月頃です。
ウイルス感染の意識が低い旦那に手洗いや、マスクをするよううるさく言っていました。
持病がある我が子が罹ってしまったら嫌なのでとても神経質になっていました。
それでも、仲のいい夫婦と周りから羨ましがれていました。
自分で言うことでもありませんが、本当に夫婦仲が良かったんです。
ですが、そんなある日
いきなり旦那が家を出て行きました。
長男は、パパのことが大好きでパパが帰ってこないことに不思議がり
いつも夕方になるとパパが帰ってこないか、窓の外を見ていました。
数日後には、離婚届が車のダッシュボードに置かれて
離婚届にサインをしないと生活費を渡さない。と脅しのように言われました。
保育園に預けず、持病がある娘を家で見ていたため、私は無職です。
おむつやミルク代、生活費は無くてならないのに、
なんでこんな酷いことができるんだろう。と、腹が立ちました。
あんなに優しくて、周りからも羨まれるくらいい旦那だったのに
いきなり出ていった理由は
不倫でした。
不倫をしているのに、当の本人たちはバレていないと思ったようです。
しかも、不倫をしている分際で旦那から離婚調停を申し込まれたんです。笑
それも、私たち二人の子どもの親権は、旦那が取りたいようでした。
そのころの私は、コロナ禍で友達と会うこともできず、子育てで家にばかりいたので鬱っぽくなります。
今考えたら、ありえない話しですが、親権を取られそうな気がして夜も眠れなくなりました。
しかし、その状況に私の両親は黙ってみるわけにはいかず
旦那にバレないように弁護士に相談、探偵を雇って証拠集めの日々を過ごしました。
不倫発覚した当初は、
一時的な恋愛感情で家族を捨てるのはバカバカしい。
父親の自覚を持って欲しい。
と、ばかり思っていましたが
日に日に、暴力的な言葉もかけられ、わざと精神的に追い込ませる方法で私を落としていったので再建は諦めて、調停で有利に勝つように必死でした。
一番近くにいて、大変なことも一緒に乗り越えてきた大切な人から裏切られ
一番の味方から、一番の敵になりました。
調停の結果、親権は母親である私が持つことになり、養育費は月に5万4千円、
という結果になりました。
約3年間の結婚生活が終わりました。
再出発
不倫の証拠集めをしている頃、気晴らしで妊娠前にしていた
キックボクシングを再開しました。
キックボクシングをしている時だけ、憂鬱な気分が晴れました。
そんな時に、ジムのトレーナーから
「一緒に働かない?」
と誘われて
すぐに働きたいと返事をして、娘の保育園も決まり
再出発をしました。
これまで、私がバイトを含めて働いてる時間は、
早く終わらないかなー。
と、時計との睨めっこをしていました。
休み明けは、だるすぎる、行きたくない。
そんな感じでした。
しかし、一緒に働かないか?と声をかけてくれた上司の働く意識、
稼ぐ意欲を間近で見ることになります。
その上司は、キックボクシングの元世界チャンピオンで、とても負けず嫌いです。
その負けず嫌いの性格が、仕事でも出ています。
売り上げが他の店舗より自分の店舗が1番じゃないと嫌。
自分が出勤の時に、会員さんの来館数が少ないと何がいけなかったのか。
と考えます。
・どうしたら、お客さんにもっと良いサービスを提供できて、継続につながるか?
・どうしたら、利益をもっと出すことができるか?
これまで働く意識が低かった私が、上司のマインドがうつりそんなことばかり考えるようになりました。
ジムで働くようになって、1年が経った頃一生懸命仕事をする私を見かねて
わずかですが、インセンティブを貰うことになりました。
もっと利益を出して、給料をもらって、子どもたちにいろんな経験をさせたい。
と、強く思うようになりました。
そんなある日、また旦那から調停を申し込まれました。
二度目の調停
毎月5万4千円貰っていた、養育費でしたが
相手から養育費減額の申込があり調停を行うことになりました。
ただでさえ少ないと感じていた養育費ですが、
おめでたいことに、当時の不倫相手と結婚し、さらに転職して給与が下がった。
二つの理由で養育費減額の調停を申し込まれました。
勝手に不倫して、家族を捨てて、その相手と結婚し、そして給与が下がるところに転職し
自分の子どもにかかるお金を減額する。
自分勝手としか言いようがありません。
ですが、一番腹立たしいのは
養育費算定表の制度です。
状況や、言い分はすべて無視。
お互いの給与から算定して、数字だけで判断されます。
調停員は、
「少ない金額でも養育費を支払ってくれてるなら良い方だよ」
と、変に納得させようとします。
シングル家庭の立場は、こんなにも弱いのか。と世間を恨みます。
約4ヶ月続いた調停の結果、5万4千円の養育費が、4万円になりました。
調停の結果に不満を抱くも、こんなばかばかしいことに時間も労力も使いたくない。
その何倍以上私が稼げば良いんだ、そんな思考に変わっていきました。
未経験、副業、検索する日々
養育費減額の調停が終わった頃から、副業やダブルワークOKの仕事を探し始めます。
ですが、現実はそう甘くなく、履歴書を送っても返事が来ることはありませんでした。
次にスキルをつけようと、フォトショップやイラレ、動画編集のオンラインスクールも
少しだけ参加しましたが、
結局、編集のスキルは上がっても
クライアントが求めているところまでには足りないんじゃないか。と思いました。
なぜなら、
・実際に広告を見て商品を購入したくなるのか?
・マーケティングの基礎も学ばないで、動画編集をしたところで
自己満の広告になって終わるんじゃないか?
・購入までに至る動画の構成は、どうやってできてるんだろう?
とそう思いました。
そんなある日、
仲のいい先輩から、いきなりウェブマーケティングスクールのリンクを送られてきました。
それも、受けて見て。と言われました。
ウェブマーケティング?私が?
頭がいい人がやることじゃん?
っていうか、そのスクール怪しくない?大丈夫?(失礼)と疑っていました。
とりあえず、内容を見てみると
あ、これだ。と直感したんです。
今の時代、どんなビジネスでもウェブマーケティングは必要不可欠。
それくらいは知っていました。
ウェブだと、地域や年齢、性別も細かくターゲットを絞ることができるからです。
また、インターネット広告市場は広がっているな、と素人の私も感じました。
これは、ウェブマーケティングスキルの需要が上がっています。
そして、商品やサービスの魅力を引き出すのは、文章力が必要です。
そして残念なことに私には文章力がありません。
このスクールでは、
・半年間は、自身で作ったサイトにブログを作成し、マーケティングの基本といわれるライティング力を上げる。
・マーケティング戦略を基礎から学べること
・週に6回添削会があり、講師が添削をしてくれること。
・ブログを通してライティング力を身につけた後に、TickTokやyoutubeの台本の書き方や人を惹きつける台本の書き方を学べること
・他のスクールにはない実践型にこだわっていること
スキル0の人でもウェブマーケティングの基礎力を全て身につけることができます。
動画編集の技術だけが良くても、人を惹きつける構成や台本がないと
誰も興味を持たないし、文章力や台本だけが良くても同じことだと思います。
何か一つのスキルだけでは、人を惹きつけることができない。
と感じた私に、ピッタリのカリキュラム内容でした。
さらに、リンクを送ってくれた先輩が
「1年間本気でやるなら、お金出すよ」と言ってくれたんです。
金額を見ると、貯金が全くない私が払える金額ではありません。
でも、他人に大金を払わせることなんてできない。
と、
断るつもりでしたが、逆にこんなチャンス二度とないな。と思いました。
私がスクールで1年間本気でウェブマーケティングを学んで
その先輩の仕事の助けになる約束をして
スクールの支払いをしてもらいました。
これが、私がウェブマーケティングを学ぶことになったきっかけです。
普通ではあり得ないですよね。
親でもない他人がこんな私に投資をすること自体が・・・
だからこそ、結果を出さないといけない。と言うプレッシャーはすごいです。
最後に
長くなりましたが、冒頭でもお伝えしたように
わたしは何のスキルもないシングルマザーです。
なのに、1年後には月収50万円を目指しています。
私の好きなことをお金を惜しまずさせてくれた両親のように
私も自分の子どもたちにさせてあげたいと思っています。
これから1年間、ウェブマーケティングを学んで
本当に月収50万円を稼ぐことができるのか?
また、私と同じ境遇のシングルマザーの方に
背中を押せるように、頑張っていきます。
1年間の様子は、このブログを通してお伝えしていきたいと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました。